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2004年10月 アーカイブ

2004年10月04日

第十四話:合同ゼミ

またまた「ひとりごと」を発する日があいてしまった。

この2週間は、11/13、14に東京工科大学で行われる全日本教育工学研究協議会の連名発表(今回は24本に及ぶ)の論文校正・アドバイスに連日追われている。そろそろ自分のも書き始めたいところだが、たぶんそれはぎりぎりになると思う。しかし、24人はそれぞれ論文の精度を高め、自分が納得するレベルまであげようと本当にがんばっている。私も精いっぱいそれに応えたい。



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先週の火曜日、水曜日は和歌山大学豊田研究室とうちの研究室の合同ゼミ合宿だった。すでにうちの小林や和歌山大学の北川さんが研究室日記で報告している。

全員の卒論・修論、研究にかかわる5分発表それに関するフリーセッション、豊田、加藤、中川のつっこみ。小林、北川2人の学生による話題提供とテーマをしぼった議論。豊田さんのミニ講演と私のまとめ。休憩時間もそこそこに2日間びっちりのスケジュールだった。



夜は夜で、月1回石川、富山県内の教師と行っている「授業力向上ゼミ」にも参加してもらった。9月の発表者は金沢市立三馬小学校の島田さん。2年生の体育リズムダンスの実践発表。学級経営とリズム活動をどう関連させ、生かしているかがポイントだった。討議の絡め方がまだ甘く、参加者全員の今後の課題だ。実践内容自体はすばらしかった。この授業力ゼミは私の専門である教育工学や情報教育とはまったく関係ない。授業力そのものをいっしょに高めていくためのゼミだ。

その後、合同ゼミと授業力ゼミの懇親会を行ったが、20:30〜開始(しかも平日)にもかかわらず、40名以上の参加。清水町小(富山市立)の相川さんは金沢に宿泊して朝の6時に学校出勤に向けて出発したようだ。みんなすごすぎる。



はじめて合同ゼミ合宿を行ったわけだが、

・ゼミ内ではわかっている研究内容でも、知らない相手にゼミ形式で伝えなければならない

・同じ学生、内留同士、わけのわからぬ発表はできない

そのようなほどよい緊張感の中で全員が発表できた意味は大きい。

もちろん、お互いに仲良くなって学生、内留同士が卒論、修論、研究成果を意識してつながる意味もまた大きい。

今回、Win-Winになったことが確認できたので、また来年もやりたいと思う。

最後に、この合同ゼミではホストとなったうちの研究室の大学院生(竹内、笹島、小林)を中心に学生が自分たちで考え、和歌山とのメールでの進行、発表者打ち合わせ、会場設営、司会、タイムキーパーや夜の会のタクシー手配、懇親会切り盛りまですべて運営していた。私がやったことは大筋の2日間の方針を示しただけ。後は何もしていない。本当に育っている。それを感じられたのが一番の収穫かもしれない。

2004年10月14日

第十五話:公開研究会でなかなかみることのできない総合の授業場面

現在、週に2校平均でどこかの学校の授業研究に入っている。

今日は静岡県湖西市立鷲津小学校の堀尾光宏教諭の総合的な学習(4年)の授業公開と検討会に講師として訪問した。この授業は昨年から関わっている西縁総合教育センターの総合的な学習部会の研究員への指導の一環だ。



単元名は「鷲津のほこり、豊田佐吉に学ぼう」だ。ねらいは3つあるが、特に「豊田佐吉の偉業や発明、ものづくりなどに関心をもち、進んで調べたり、アイディア品を作ろうとしたり、発明のすばらしさを伝えようとしたりする」というものだ。

単元は74時間に及び、大きくわけると「1)佐吉について知ろう」「2)発明にちょうせんしよう」「3)発明の大切さを伝えよう」の3本だてになっている。

公開の本時は、「3)発明の大切さを伝えよう」の1時間目だった。第二次の最後までに外部の専門家の方などにアドバイスや指摘をもらいながら、子どもたち個々が自分のこだわりのアイディア品を完成させ、今後の柱になる学習問題を話し合う、という場面だ。



授業はこれまでの場面の写真入りの教師の用意した「書き込みシート」に各グループで学びになったことを想起しながら、これから学習問題にしたいことを相談することからはじまった。

子どもたちからは、最終的には、「他の発明家のことも追究したい」「(自分の作ったアイディア品を)本物にしたい」「下級生に伝えたい」など、それぞれの思いを共通テーマとして出してきた。教師の方は、いずれ「町づくり」の活動につなげたいという思惑から「佐吉そして、発明のすばらしさを地域の人に伝えたい」という流れにもっていこうとしていた。それでもていねいに子どもの発言をくみ取りながら、インタビューのビデオを出すか出さないかを授業中に判断しながら、共通テーマへの落としどころ(収束地点)をさぐっていった。



総合では、子どもたちの思いに寄り添いながら、いっしょに学習問題を作っていくことが重要だ。これを教師からの一方的な課題提示のみにしてしまうと、指示待ちの子どもたちになってしまい、総合の醍醐味は失われる。

しかし、子どもたちの思いのみにまかせていると、特に今回のように4年生くらいではどこに流れていってしまうかわからない。つまり、難しい場面なのだ。日ごろの子どもたちの育ちもファシリテーターとしての教師の力量も問われる。しかし、総合の単元を進めていく中で、節目になる重要な場面であることもまちがいない。



以上のことから、なかなか研究授業のような公開では、このような場面を見せてもらえない。たしかに発表の場面あたりの方が無難なのだ。教師の想定できる範囲でたいていは進めていける。

しかしだからこそ、堀尾教諭が本時の授業場面を公開した意味は大きい。つめかけた多くの参観者もたぶん「自分なら〜している」「あの場面では〜すべきだった」と、いろいろな意見をもったはずだ。そういう考えをめぐらせる授業だったのだ。

こういう公開授業が今後も見ることができることを願ってやまない。



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あさっては日帰りで高知市内の小学校に入る。

大好きなぎょうざ屋台(夜の8時からなんだよね。屋台のオープンが)に行けないのが心残りだ。




2004年10月24日

第十六話:2005年の会ファイナル終了

金曜日は、朝からエプソンカラーイメージングコンテスト審査(500点もの審査を一人で終える。さすがに終わったときは目がチカチカした。でも昨年より教師のかかわりのうまさを作品から感じることができた)、午後から神奈川県座間市の情報モラルの研修会講師。夜は原稿書き2本。

体調下降気味のまま2005年の会に突入した。

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この土日は、第5回2005年の教室を考える会だった。200名が参加。今回も参加者の意識の高さを感じた。

これまで第0回大会から6回続いた「2005年の教室を考える会」は今回の2日間をもって終了した。10月はじめに、正式に終了することを4人で話し合って決める。

まもなく2005年を迎える。会の名前もそうだが、この会の果たしてきた役割は大きいが、同時に当初のねらいはおおむね達成されたのではないかと思う。他にもプロジェクトをたくさんかかえているが、いつも感じるのは「引き際が大切だ」ということ。今なら、参加者の次への動きへのきっかけや後押しになる。

なんといっても、多くの人がここで出会い、高い問題意識をもった者同士が化学反応を起こし、さまざまなヒューマンネットワークが構築された。

この会を通じていつも私が願ってきたのは、自らの思いを語り、さまざまな立場の人の思いを知り、共感しながら、元気と勇気をもらって日ごろの実践活動、営業活動に活かすことだ。何より、本当に自分がやれることをやりきっているのか、問い直してほしいと思ってきた。そして「バランス感覚」と「ビジョン」をもってほしいということだ。年に一度か二度、自分をみつめなおす節目と出会いの場になればと思ってきた。

しかし、これは参加者が決めることだろう。



最後になったが、いっしょにこの会を企画、運営してきた堀田さん、大笹さん、狩野さんに心から感謝したい。自分だけでできることは限られていることも、4人で知恵を出しながらやってきたからこその今日があると思う。

また、両方の学生にも感謝している。学生の動きあってのこの会の成功がある。

そして、社長はじめバディの方々にも本当に感謝したい。終了後、バディの社員の方のランチタイムでお礼を言わせてもらったが、社内でそれぞれの専門の仕事をもちながら、実にたくさんの方が誠意をもってバックアップしてくださった。思いを1つにして関わってくださったことに一番感激した。

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終了後、中川塾の児玉師範、佐藤師範、辻さん、中川(妹)さん、田中さんが残ってくれ、新規開発商品に関する意見をくれた。疲れている中での検討会参加に感謝。




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