新年早々、ベネッセとの調査研究構想やNHK新番組のラインナップ構想会議、雑誌特集記事執筆、小学校国語指導書校正作業、新プロジェクトメンバー推薦、D-pro春の公開研究会申し込み準備、中川塾課題コメント準備、学内会議など、すでにトップギアに入り始めている。
そうえいば年末から来年度の依頼・打診が多く舞い込み、すでに8月と11月の予定はかなり埋まってきた。IMETSはICTテーマの私の相棒(実践発表者)を決めなくてはならない。
今年も充実した1年になりそうだ。
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「バカの壁」は一度は読んだことがあるだろう。あまりにも有名な最近のベストセラー書籍だ。あのバカの壁の冒頭に養老氏がある夫婦の妊娠から出産までのドキュメンタリー番組を授業で見せたということが書かれている。学生の反応は男子学生と女子学生で見事に分かれた、というのだ。要するに男子は出産に対して実感を持ちたくない。だから男子は細部に目をつぶって「そんなの全部知っているよ(以前、保健で習った)」と言い、女子はディテールまで見て「新しい発見をした」と言ったらしい。日ごろ私たちが「知っている」ということの実態は実はそんな程度なのだと断じている。
確かにそうだよなぁと思う反面、これって自分がやっている仕事にもおおいにあてはまるな、と思い始めた。
これまで私はさまざまなデジタルコンテンツ作成や普及の仕事に関わってきている。特に、国関係の仕事は規模も大きく、またばく大な費用をかけ、量的にも教科や校種・学年をカバーするように作成している。作成時には、第一線で活躍している教師や企業もかかわり、それぞれ充実したコンテンツを提供している。どのようなコンテンツが必要なのか、どういうインタフェースなら使いやすいのか、論議を重ねて公開される。
しかし、コンテンツが充実してくればくるほど、子どもたちを上記の男子学生のような状況にさせる危険性があるのではないか、と思うようになった。子どもたちが実感をもちたいと思う前に「わかったつもりにさせていないか」のではないだろうか、と。
もちろん、やみくもにデジタルコンテンツを使うのはナンセンスだ。デジタルコンテンツにかかわらず、教師の意図が明確である上でそれに適した教材や教具を授業に登場させるのは当然のことであり、それが授業の質を問うことにもなるわけだ。
デジタルコンテンツを活用するする場合にもその意図があるはずだ。それは以下の4つに集約されるだろう。
1)知識・理解の補完・定着
・なかなか体験できないことを疑似体験する
・くりかえし練習する
2)イメージや意欲の拡充
・見ることで想像力を刺激する
・実際の体験の意欲化を促す
3)学び方の補完
・うまくいくポイントをつかみやすい
・実験の手順がわかる
4)課題や疑問への発展
・見ることでさまざまな疑問がわいてくる
・学習課題に収束するようなきっかけになる
この4つのどれにもあまりヒットしないのであれば、それは使わない方が絶対に良い、ということになる。
ただし、仮にヒットしたとしても、知識の表面的な補完のみに終わらないようにすることが大切だ。授業場面1つとっても、「これが今日の授業の答えです」と言わんばかりに水戸黄門の印籠みたいにしたり、45分の授業中ずっとデジタルコンテンツを使い続けたりしていると、いつのまにか子どもたちは「わかったつもり」になっていくだろう。
うまく活用していく鍵は「デジタルとアナログの融合」にあると思う。実際のインタビューや実験などにうまく展開できるような、「わかる」「できる」にうまく効くようなデジタルとアナログの行きつ戻りつがどのように授業デザインできるかがポイントだ。最初の例ではないが、いかに普段の授業で子どもたちに実感をもたせられるか、問題意識や追究意欲を高められるか、ありきだ。
いつも子どもたちが「わかったつもりになっていないか」疑ってかかることが重要ではないだろうか。